NAGASAKI PEACE SITE

2001年12月27日
在外被爆者も手当受給権 李康寧さん訴訟で長崎地裁判決

 被爆者援護法に基づく健康管理手当を帰国を理由に打ち切ったのは違法として、長崎で被爆した韓国人元徴用工、李康寧(イ・カンニョン)さん(74)=釜山市在住=が、国と長崎市などを相手に同手当の支給などを求めた訴訟の判決が二十六日、長崎地裁であった。川久保政徳裁判長は「被爆者の地位は(日本からの)出国で失われない」として援護法の適用を認め、国に未払い手当百三万円の支給を命じた。

勝訴
「勝訴」―。李康寧さんの訴えが認められた判決の報告に沸く支援者ら=長崎市万才町、長崎地裁玄関前
国に支給命令

 海外に住む「在外被爆者」への援護法適用を認めたのは、韓国人被爆者の郭貴勲さん(77)の訴訟で六月に言い渡された大阪地裁判決に次いで二件目。「被爆者健康手帳は国内のみ有効」と省令などに明記する方針を示した国に対し、再考を迫るものと言えそうだ。

 川久保裁判長は、争点となった援護法の解釈をめぐり「根底には国家補償的配慮があり、在外被爆者のみに不利益となるような限定的な解釈はすべきでない」と指摘。「出国後も被爆者の地位を失わないと解釈する方が立法趣旨にかなっている」との判断を示した。

 国の「在外被爆者に適用する明文規定はない」との反論に対しては「むしろ多くの外国人被爆者が含まれる在外被爆者を適用除外とするなら、そのことが明文で規定されていたはず」として国の解釈の根拠を退けた。

 打ち切り処分の取り消しについては「行政処分に当たる行為といえない」として却下。打ち切り処分の再審査の遅れによる損害賠償や慰謝料の請求も棄却した。

 李さんは北九州市で生まれ、一九四五年八月、長崎市内の徴用先の寮で被爆。戦後、韓国に帰った。九四年七月に来日して被爆者健康手帳を取得し、三年間の手当支給の決定を受けたが、同年九月の帰国に伴い支給を打ち切られた。

 李さんは「被爆者はどこにいても被爆者」として九九年五月に提訴。一方、被告側は「援護法は、社会保障法としての性格があり、(日本の)社会の構成員でない海外居住者には適用されない」などと反論していた。

 同様の訴訟は、長崎地裁で争われている長崎市の被爆者、広瀬方人さん訴訟など四件が係争中。

 海外に住む被爆者は約五千人(厚生労働省推計)とされ、戦後から現在まで援護の枠外に置かれたままだった。国は今月、来年度から渡日治療支援などに乗り出す方針を打,ち出した。




在外被爆者訴訟判決要旨

 長崎地裁が二十六日言い渡した在外被爆者訴訟の判決要旨は次の通り。

一、処分取り消しの訴えについて

 長崎市長は「被爆者」が日本の領域を越えて居住地を移すことにより被爆者援護法の適用がなくなり、健康管理手当の受給権は当然に消滅するとの解釈に基づいて、本件支給打ち切りに至ったもので、行政事件訴訟法にいう「行政庁の処分その他公権力の行為に当たる行為」というものは何ら想定することができず、その取り消しを求める訴えは不適法。

二、健康管理手当の受給権について

 法律に定められた「被爆者」が日本国内に居住しなくなった場合、「被爆者」たる地位が失われるか、すなわち日本国内に居住することが被爆者健康手帳交付決定の効力存続要件であるかについて、明文の規定はない。

▽立法の趣旨
 被爆者援護法は被爆者の健康上の障害が一般の戦争被害者と比較して特異かつ深刻なものであるとの認識の下に制定されたものであって、根底には国家補償的配慮があると解される。そして、あえて国籍要件を定めず、内外国人を問うことなく援護の対象者としたことも併せ考えると、同法の解釈にあたっては在外被爆者のみに不利益となるような限定的な解釈はすべきでない。
▽法的性格
 被爆者援護法が社会保障法に属するとしても、明文の規定がない限り、在外被爆者に適用されないとの結論を導くことはできない。また、同法が一般の戦争被害者と区別して特に被爆者を援護している例外的な制度だからといって、在外被爆者に適用するために明文規定が必要とはいえない。むしろ、同法は外国人被爆者にも適用されるから、多くの外国人被爆者が含まれるであろう在外被爆者を適用除外とするなら、その旨が明文で規定されたはずとさえいうことができる。
▽立法者の意思
 在外被爆者は法律上、実際には医療給付を受けることはできないが、再度入国すれば可能になるから、立法者(である国)が在外被爆者に適用しないとの立法政策を取ったと断定する根拠は乏しい。
▽受給権
 法律上、日本からの出国によって「被爆者」たる地位を失うとの解釈には、特段の実質的・合理的理由はないといわざるを得ず、むしろ「被爆者」たる地位を失わないと解釈する方が、立法趣旨にかなっているというべきである。したがって原告は出国によって「被爆者」たる地位を失わず、健康管理手当の受給権を有している。

三、手当の支払い義務者について

 長崎市長は行政機関のひとつであって、権利義務の帰属主体とはなり得ないから、同市長には本件健康管理手当支払い請求にかかる訴えの被告適格はなく、同市長に対する訴えは不適法。当時、各種手当の支給にかかわる事務は都道府県知事が国の機関として管理執行を行っていたと解される。そうすると当該事務の効果は国に帰属するので、国が支払い義務を負い、長崎市はこれを負わない。

四、支給打ち切りの損害賠償義務

 手当の支給打ち切りは違法であるが、厚生省の職員及び長崎市長が支給打ち切りの違法性を予見していたとか、予見可能であったとは到底いえず、国、長崎市に国家賠償法に基づく賠償義務はない。




 解説・国の違法性を指摘

 在外被爆者への被爆者援護法適用を認めた二十六日の長崎地裁判決は、援護法の適用対象を国内に居住・滞在する被爆者に限定してきた国の従来の法解釈の違法性を明快に指摘した。

 判決は「法の下の平等を定めた憲法に反する恐れがある」とした六月の大阪地裁と異なり、直接の憲法判断は示さなかったものの、内容的にはほぼ踏襲。いったん被爆者健康手帳を取得した「被爆者」が出国でその地位を失わないとの司法の流れが固まった、と関係者は期待を込めてみる。

 国は、出国に伴う失権規定や国籍条項がないにもかかわらず、法解釈によって援護法の適用対象を限定してきた。だが判決はその解釈を「特段の実質的、合理的理由はない」と退けた。

 国は在外被爆者問題について十二月十八日、渡日治療支援などの援護策を打ち出す一方、省令などで「手帳は国内のみ有効」と明記する方針を示したばかり。だが、この日の判決は、援護法の枠外で在外被爆者を援護しようとする国の方針に「待った」をかけ、抜本的な再検討を迫るものとみることもできる。

 今後、日本国内の被爆者と同じ援護を求める在外被爆者らの声がさらに高まるのは必至。被爆による健康被害を受けながら半世紀を超えて放置された在外被爆者は既に高齢化しており、早急な対応が求められる。  (報道部・榎屋健)


被爆者援護法
 「国の責任において」「(被爆が)特殊な被害であることにかんがみ」(前文)被爆五十年を機に原爆医療法と原爆特別措置法を一本化し、一九九五年七月施行された。健康診断や医療給付、各種手当の支給などを定める。国籍条項は設けられていないが、74年の旧厚生省公衆衛生局長通達で在外被爆者は適用の枠外に置かれている。厚生労働省は「被爆者健康手帳は国内のみ有効」と法令に明記する方針で、反発を招いている。

在外被爆者
 長崎、広島で被爆し、国外に住む人。厚生労働省は被爆者援護法の適用を国内に限定。国内に居住、滞在中に被爆者健康手帳を取得し医療や手当の給付を受けても、離日すると失効する。同省は、韓国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、北南米などに約五千人(うち二千二百人が被爆者手帳取得)と推定するが、実態は把握していない。


李さん
判決後の記者会見で、支援者へ感謝を述べる李康寧さん=長崎市筑後町、県教育文化会館

「夢のよう…」 李さん笑顔

 「夢のようで何も考えられない」―。六月の在外被爆者訴訟大阪地裁判決に続き、海外にいる被爆者にも被爆者援護法に基づく健康管理手当の受給資格があるとする司法判断が示された二十六日の長崎地裁判決。法廷を出た原告の韓国人元徴用工、李康寧(イ・カンニョン)さん(74)は晴れやかな笑顔を見せ、支援者らと固く握手を交わし一審勝利を喜び合った。

 北九州市に生まれ、日本が朝鮮人に強制した創氏改名で、終戦まで「木村康寧(やすし)」と名乗った。十六歳の時、長崎市内の三菱兵器製作所大橋工場に徴用され、寮に充てられた市内の寺(爆心地から二・五キロ)で被爆。その年の暮れ、日本の植民地支配から解放された韓国に帰ったが、祖国では「チョッパリ(「日本のやつ」の意のさげすみを込めた言葉)」とからかわれ、精神的な孤独と原爆後遺症への不安を抱えての生活が続いた。

 一九七〇年代前半に一万人近くを数えた韓国原爆被害者協会の会員も高齢化に伴って死亡が相次ぎ、現在は約二千二百人にまで減った。一方で、李さんが所属する同協会釜山支部などによると、未加入者も千人単位でいるとみられるが、被爆者に対する社会の偏見を嫌って名乗り出ないケースも多く、その数は協会もつかみ切れていない。

 「韓国だけでなく、援護が切り捨てられてきたすべての在外被爆者の名誉を背負った思い」で臨んだ今回の裁判。「私は終戦まで日本人として生き、働かされ、被爆した。それなのになぜ日本国内の被爆者と差別されるのか」と主張し、国などの対応の不当さを訴え続けた。

 「国に控訴を断念させ、在外被爆者に対する姿勢を改めさせたい」。一審が終わり、裁判を応援してきた支援者らに対する感謝の言葉は、これからの運動の決意に変わった。

李康寧訴訟をめぐる主な動き
1945年 8月 長崎、広島が被爆
57年 4月 原爆医療法施行
68年 9月 原爆特別措置法施行
94年 7月 李康寧さんが被爆者健康手帳取得、長崎市が健康管理手当の支給決定
11月 市が帰国を理由に支給打ち切り
95年 7月 原爆二法を一本化した被爆者援護法施行
97年 6月 県に打ち切り処分の審査請求
9月 県が審査請求却下
10月 国に再審査請求
99年 3月 国が再審査請求棄却
99年 5月 李さんが長崎地裁に提訴
2001年 6月 同様の裁判で郭貴勲さんが大阪地裁で勝訴(被告の国など控訴)
8月 在外被爆者に関する検討会が発足
9月 被爆者の広瀬方人さんが長崎地裁に提訴 
10月 李さんの訴訟が結審
12月 国が渡日治療支援など当面の在外被爆者援護策発表


支援者ら歓喜に沸く

 長崎地裁前には二十六日、李康寧裁判の一審判決を見届けようと、同種の在外被爆者訴訟が争われている大阪など全国から支援者らが集まり、傍聴券を求めて約百四十人が列をつくった。判決主文が読み上げられた直後、関係者の一人が「勝訴」の垂れ幕を持って地裁玄関から駆け出てくると、傍聴席に入りきれなかった支援者らは歓喜に沸いた。

 李裁判と同種訴訟の原告で、海外勤務での出国を理由に被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給を打ち切られたのは不当とし、九月に長崎地裁に提訴した長崎市の元教諭、広瀬方人さんは「日本の裁判所にも良心があった」と評価。在外被爆者の援護について国が今月、渡日による被爆者健康手帳の取得支援など当面の支援策を打ち出したことに対しては、「援護法の精神が伴わず、根本的解決にはならない」と切り捨てた。

 一方、サンパウロ市で連絡を受けた森田隆・在ブラジル原爆被爆者協会長は「在外被爆者救済への希望が出てきた。われわれも提訴し、国の対応の不当さを法廷の場で争いたい」と語り、集団提訴への意欲を見せた。

 判決を受け、李康寧・広瀬方人裁判を支援する会などは長崎市内で記者会見。平野伸人・同会事務局長は「六月の大阪地裁判決に続く原告勝利で、在外被爆者援護問題に対する司法判断は固まった」と期待を込めた。

 李さんと本県の支援者らは二十七日に上京。国に控訴断念を求める。



国に控訴断念求める 龍田紘一朗・原告弁護士の話

 訴えの“本命”だった在外被爆者への援護法適用部分については全面勝訴といえる。われわれの主張が全面的に採用された。判決は分かりやすい単純明快な論理となっており、あっさり認められた印象だ。今後は国に控訴断念を求める動きを強めていきたい。



関係省庁と対応協議 青柳親房・厚生労働省健康局総務課長の話

 現時点では判決の内容を十分確認しておらず、具体的なコメントは差し控えたい。今後の対応については、判決内容を検討し関係省庁と協議して決める。



国の支援充実を期待 伊藤一長・長崎市長の話

 市と市長に対する訴えを棄却、却下するとの判決が言い渡された。今後は厚生労働大臣に提出された「在外被爆者に関する検討会」の報告書を踏まえ、国の在外被爆者のための支援が充実されることを期待する。



援護法の趣旨大切に 松井修視・長崎シーボルト大教授(行政法)の話

 当然の判決ではないか。被爆者援護法は世界に向けたメッセージでもあり、趣旨を大切にしないと意味がない。「総合的援護」と明記されているのは、どこに住んでいようと総合的に援護するものと解釈し、広く開かれたものであるべきだ。



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