
2000年 原爆・平和連載企画
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=日蘭戦争原爆展から=
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オランダ国立戦争資料館が企画した展示会「オランダ人・日本人・インドネシア人による日本占領下インドネシアの記憶」と、長崎市民が作製した原爆展示を一体化させた「日蘭戦争原爆展」(実行委、同資料館共催)が二十三日まで、長崎市魚の町の市民会館地下展示ホールで開かれている。うち原爆展示では、第二次世界大戦中、同市内にあった連合軍捕虜収容所での被爆についてもスポットを当てる。敵国日本で抑留され、味方であるはずの連合軍アメリカが落とした原爆で被害を受けた捕虜たちの目に、あの日の惨状はどう映ったのだろうか。日蘭戦争原爆展で公開される、元兵士などが残した絵画や詩、証言をもとに「捕虜たちが見た原爆」を紹介する。 |
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=日蘭戦争原爆展の断面=
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日蘭交流四百周年を記念して華々しいイベントが続いている。だが、日蘭両国の間には「出島交流」とは別に、第二次世界大戦で争ったもう一つの歴史がある。両国の関係を戦争、そして原爆という視点から見詰め直す展示「日蘭戦争原爆展」が十一月十七日、長崎市で始まる。同市が開催を断り、いったん消え掛けた企画は、市民の手で実現へと導かれた。「反戦平和」の声をいかにつなぐか、被爆地長崎の姿勢があらためて問われている。展示企画をめぐる動きを追う。 (報道部・田渕徹郎)
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太平洋戦争が終わって五十五年。日本国憲法が施行されて五十三年。今年は国会に憲法調査会が設置され、半世紀以上もそのままの姿で生き続けてきた憲法が揺れている。「論憲」の言葉が飛び交い、政党による議論が続いてはいるが、先の総選挙の争点にはならず、国民的な関心が表面化している状況にも見えない。「戦後」が始まった八月十五日を機に、県内の論者に憲法を語ってもらった。 (聞き手・森永玲)
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=没後50回目の夏に=
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浦上の聖者と呼ばれ、病床から原爆の恐ろしさと恒久平和を訴えた永井隆博士が一九五一年五月一日に亡くなってから、五十回目の夏を迎えている。博士の多彩な業績については広く知られているが、博士の思想をめぐる論争が、戦後長崎の思想の底流で綿々と引き継がれてきたことは、あまり知られていない。被爆地長崎の古くて新しい論争とも言える永井の思想に対する否定と肯定。さまざまな永井論へのアプローチを通じて、ナガサキの戦後思想の多面的な自画像に迫ってみたい。 (編集委員・高橋信雄)
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五十五回目の終戦の日がやってくる。戦争の世紀が終わろうとしている。「戦前」が遠ざかり、戦争が風化するなか、当時を伝え、平和を願う小さな発信地になろうと、いまなお語り続ける街の資料館がある。繰り返された空襲、アジアに侵略した日本の姿、引き揚げ者が味わった悲惨、戦地に送り込まれた日本人たち―。展示を通じ、訴えかける資料館の語り手たちを追った。 |
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= 『松谷訴訟』勝訴確定 =
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長崎原爆で被爆し障害を負った長崎市深堀町一丁目、松谷英子さん(58)が、国の原爆症認定申請却下処分の取り消しを求めた「長崎原爆松谷訴訟」。十八日の最高裁判決で、原告側の勝訴が確定。松谷さんは司法判断で原爆症と認められた。固く、重かった原爆症認定の「扉」を押し開いた原告団と支援者。判決の意義と、被爆者行政に与える影響を取材した。 (原爆取材班)
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= 沖縄の原爆展から =
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主要国首脳会議(沖縄サミット)に合わせ、沖縄県糸満市で開催中の「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」。平和の願いで共通する沖縄の地で、長崎、広島両市が連携して世界に核兵器廃絶を訴えるものだが、被爆地の思いをよそに、サミットに出席した首脳ら要人はだれ一人、訪れなかった。サミット期間中(二十一〜二十三日)の動きなどを中心に、「被爆地の訴え」が届いたのかリポートする。 (報道部・山口恭祐)
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= 被爆者からの伝言 =
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「あの日」から五十五回目の夏が巡ってきた。家族、友人、家、生活…あらゆるものを失い、たたきのめされた人もいる。被爆者たちは、それでも生き続け、平均年齢は、七十歳に届こうとしている。「核の世紀」が幕を閉じようとする今、次の世紀に遺(のこ)したい言葉とは何か。一九四五年八月九日から今日まで、世界と長崎の歴史をたどりながら、二十一世紀を生きる人たちに、被爆者のメッセージを伝える。 (原爆取材班)
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= 対談企画・高校生は今 =
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あなたは戦争や原爆について、家族や友達と話したことがありますか。多分「いいえ」の答えが多いはず。この企画では、高校生が被爆者や教師、父親らと「平和」をテーマに語り合います。併せて、長崎新聞ホームページに開設した「平和掲示板」への書き込みも紹介します。これを機に、平和について身近な人と考えてみてください。 (報道部・村田傑人)
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長崎市は八月九日、被爆から丸五十五年を迎える。あの惨劇から半世紀以上が過ぎ、次世代への被爆体験の継承が大きな課題となっているが、歳月は確実に原爆のつめ跡を消し去っていく。しかし、変わる町並みの陰に隠れながらも当時の記憶を刻んだ民家などもある。暮らしの中に生きる被爆遺構を紹介する。 |