平和祈念館
1998年7月28日掲載

国の原爆死没者追悼平和祈念館の建設が予定されている長崎市平和会館前駐車場=長崎市平野町
厚相発言に広がる不信感

 今年3月13日、衆院厚生委員会。国が長崎、広島に計画している原爆死没者追悼平和祈念館の建設について、小泉厚相は委員の質問にこう答えた。「(長崎原爆資料館などと)屋上屋を架している。再検討すべきだ」。発言は被爆地長崎に大きな波紋を広げた。

■建設自体に抵抗?
 平和祈念館は、1995年7月施行の被爆者援護法に基づき、国が原爆死没者に弔意を表す施設として計画。厚生省は同年設置した被爆者や長崎、広島の行政関係者などでつくる原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会で論議を重ね、計画の具体化に向け大詰めに入った矢先だった。
 一方、長崎でも地元委員会(委員長・土山秀夫前長崎大学長、20人)を96年4月に設置。9回の審議を経て昨年2月、「原爆・平和を軸とした国際協力・交流を展開する」などとした地元案を厚生省に提出していた。
 長崎の委員会設置当初、委員から「原爆資料館と重複するので必要ない」と計画に反対する声も出たが、重複しない施設を建設する方向で各委員の意見を調整、審議を進めてきた経緯がある。「これまでの経過を(厚相は)知らないのか」。地元委員の1人、長崎原爆遺族会会長の下平作江(63)は発言に対し今も怒りを覚えるという。
 国による追悼施設の計画が浮上したのは援護法制定前の90年8月。海部首相(当時)が「原爆死没者に対し国の弔意を形で示したい」と発言したのが発端だった。被爆者は援護法制定に道を切り開くとして「死没者への個別弔慰」を要求。だが、国は慰霊施設の建設を表明。その後成立した援護法には、被爆者が長年求めた国家補償は盛り込まれなかったが、祈念館設置が平和祈念事業として位置付けられた。
 「もともと国家補償をしたくない国が代償措置として打ち出した計画」。県平和・労働センター被爆連議長の築城昭平(71)はこう指摘し、「小泉発言の真意は不明だが、建設自体に抵抗があるのでは」と疑念を抱いている。
 長崎平和推進協会継承部会長の今田斐男(69)は「小泉発言は、国が自らの計画を否定しているようなもの。原爆被害者に対する追悼の認識の薄さが浮き彫りになった」としながらも、「国家補償問題は残るが、国に不戦を誓うあかしとして造らせなければいけない」。

■再検討応じられぬ
 広島に1年遅れで建設される長崎の平和祈念館。当初は、本年度着工、来年度の開館予定だったが、計画は大幅にずれ込んでいる。
 小泉発言後、厚生省担当者は地元委員会に「建設中止を前提に言ったわけでなく、十分に論議を尽くしてほしいということだった」と説明。これに対し、土山委員長は「検討結果は提出しており、再検討を依頼されても応じられない。早急に国の最終報告をまとめてほしい」と同省の弁解に不信感を募らせたこともあった。
 中央の開設準備検討会は建設に向け協議を進めることで一致。今秋までに最終報告をまとめる方針。被爆者自身が求めたわけではない祈念館建設は、小泉発言に象徴されるように、被爆地に動揺と不信をもたらしながら計画が進められている。(文中敬称略)

メ モ
原爆死没者追悼平和祈念館  国が長崎、広島の両被爆地に建設するもので、原爆死没者の追悼と平和を祈念する施設。開設準備検討会は、建設場所を長崎市平野町の平和会館前とし、施設機能については長崎が「国際協力・交流」、広島が「資料・情報収集」を充実させるとしている。


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