長崎原爆松谷訴訟
1998年7月27日掲載

支援者らが開いた励ましの集いで、歌を歌う松谷英子さん(手前)=長崎市岡町、被爆者会館
「受忍」強いる国との闘い

■安らぎのひととき
 25日、長崎市岡町の被爆者会館。約40人の支援者や子どもたちに囲まれた「長崎原爆松谷訴訟」の原告、松谷英子(56)=同市深堀町1丁目=の姿があった。みんなでお菓子を食べたり、「青い空は」を合唱したりし、その表情に笑顔があふれた。こうした励ましや勝訴に向けた署名運動の輪が、提訴から10年を経ようとしている松谷の安らぎと希望のひとときである。
 松谷は長崎市稲佐町の自宅(爆心地から2.45キロ)で被爆。爆風で飛んできた屋根がわらで頭を負傷、右半身まひの障害が出た。当時3歳。その後、障害による頭痛や肩凝りが続いた。
 松谷は1977、87年の計2回、原爆症認定を申請。認定されれば、医療費の全額公費負担、医療特別手当(月額13万8790円)などの援護が受けられる。だが、厚生省はいずれも却下。88年9月、原爆症認定を求めて長崎地裁に提訴した。
 裁判の争点は、松谷の障害が「放射線に起因するか否か」。厚生省側は認定の主な判断基準、被ばく線量推定計算式「DS86」を盾に、「被爆距離2.45キロで浴びた放射線は微量で起因性を認められない」と主張、全面的に争う姿勢を示した。
 一審、二審はいずれも厚生省側の敗訴。裁判長は「DS86は、原爆が及ぼす健康被害の実態と懸け離れている」などとする松谷側の主張を支持。同省は昨年11月、最高裁に上告した。

■「なぜ被爆者だけ」
 全国で原爆症と認定された被爆者数は今年3月末現在、2040人。全被爆者31万1704人のわずか0.7パーセント。被爆距離、傷病という厳しい“線引き”で、遠距離被爆者を切り捨てているとの批判がある。
 松谷は訴える。「原爆の被害は機械的には決められない。国は私の体を一度も見ないで却下した」。松谷の原爆症認定を求める闘いは、国に現行の認定行政の抜本的な見直しを迫り、高齢化で健康などの不安を抱える被爆者の救済の道を広げることにもつながる。
 一方で、松谷は街頭での署名運動中に、一般戦災者からのこんな声も耳にした。「なぜ被爆者だけの救済なのか」。被爆者援護法の適用を受ける松谷ら被爆者に対し、そうした法的救済がない一般戦災者の中にある本音でもあった。
 「長崎原爆松谷訴訟を支援する会」事務局長の山田拓民(67)は強調する。「国が原爆被害者に厳しい枠をはめようとするのは『戦争被害は国民が等しく受忍する』という考えが根底にあるから。松谷さんの認定は、被爆者以外の一般戦災者にも援護や補償の道が切り開かれることを意味する」
 95年7月に施行された被爆者援護法には国家補償の文言もなく、謝罪を意味する言葉さえなかった。松谷訴訟は、戦争による犠牲と損害の「受忍」を、被爆者を含めた戦災者に求める国の姿勢をただす闘いともなっている。(文中敬称略)

メ モ
DS86  広島、長崎に投下された原爆で、人々が浴びた放射線(ガンマー線、中性子線など)量を推定する計算式。日米の科学者らが共同研究で1986年に策定した。1キロ以遠での中性子被ばく線量を過小評価しているなどの指摘もあり、見直し作業が進められている。


←目次 次頁→