8月1日のながさきニュース
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長崎新聞
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島原の乱後のキリシタン墓碑? 西有家、類似した墓石発見

| | 共同墓地で発見されたキリシタン墓碑に類似した墓石=南島原市西有家町 |
南島原市西有家町の共同墓地で、島原の乱(1637〜38年)から70年後の「宝永四年」(1707年)の年号が刻まれた「キリシタン墓碑」に類似した墓石が見つかった。
定説では島原の乱で島原半島内のキリシタンは全滅したとされている。この墓石がキリシタンの存在を示す墓碑かどうか現時点では分かっていないが、解明次第では定説が変わる可能性もあり、今後の調査研究が注目される。
切り妻寝棺型と呼ばれる形状で、長さ69・5センチ、幅41・5センチ、高さ37・3センチの伏碑。軸面には年号と男女2人分の仏教式の戒名が刻まれ、洗礼名や十字架の文様などはない。郷土史を研究する有家史談会(山田泰造会長)の会員で、元小中学校校長の山下貞文さん(63)が7月12日発見。乱でキリシタンは途絶えたという定説に疑問を持ち、教員時代から墓地など約170カ所を独自に調査していた。
島原城資料館専門員の松尾卓次さん(75)によると、半島内では120基を超すキリシタン墓碑が確認されているが、ほとんどが半島でキリスト教が繁栄した慶長(1596〜1615年)から元和(1615〜24年)年間の墓碑。キリスト教が厳しく取り締まられた乱以後の墓碑は確認されていないという。
同史談会のメンバーが送った写真などを見たキリシタン史が専門の五野井隆史・東大名誉教授は「ヨーロッパにもあり、キリシタンが多く使っている。天草の安養寺のキリシタン墓碑と大変似ている。時代が時代であり、謎だが、注目したい」と話す。
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