1月13日のながさきニュース
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長崎新聞
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軍艦島で島内放送用の原稿発見 数百ページ分、1969年前後

| | 閉山からの歳月を物語る原稿を手にする坂本さん=長崎市内 |
「本日の保育所は台風接近のため、休所いたします。子どもさんは外に出ないよう、注意してください」−。炭鉱の島として日本の近代化に大きな役割を果たした長崎市高島町の端島(通称・軍艦島)で、1974年の閉山前に流れていた島内放送用の原稿が見つかった。入手した特定非営利活動法人(NPO法人)「軍艦島を世界遺産にする会」は当時の島の暮らしを伝える貴重な史料だとして、原稿のコピーを展示する考えだ。
同会理事長で、元島民の坂本道徳さん(55)によると、高島町役場端島支所(当時)で職員が原稿を読み、島内のスピーカーを通じて流されていた。電話はまだ珍しく、緊急時などに活躍する放送は島民にとって情報を知る大切な手段だったという。
無人となった軍艦島を撮影した映像制作チーム「オープロジェクト」(東京)が高層建物の一角にあった端島支所跡から見つけ、このほど、同会に寄贈した。支所に保管されていた69年前後の原稿の一部とみられ、和紙数百ページ分が一塊になっていた。
風雨で傷んだ原稿には一枚一枚、放送題目や放送日時、放送文が手書きで記されている。節水への協力呼び掛けや全島清掃のお知らせのほか、作文朗読や人形劇上演を伝える内容も。大正時代に造られた日本初の高層鉄筋アパートが立ち並んだ軍艦島。69年10月13日放送の原稿には階上からの落下物が相次ぎ、けが人も出ているとして、ベランダの鉢植えや物干しなどが落ちないよう厳重な対応を求めている。
69年は長崎国体が開催された年でもあり、開会式入場券の申し込み受け付けや、長崎を訪問された皇太子ご夫妻(当時)を乗せた船が端島沖に近づいたことを知らせる原稿など、島の暮らしや時代をうかがい知ることができる。69年当時、中学生だった坂本さんは「島の日常の一こま一こまが分かり、貴重な史料。よく残っていたなと思う。全部書き起こしたい」と話す。今後、軍艦島資料館(同市野母町)などでの展示を検討するという。
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