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   横瀬浦港   (西彼西海町)    


一瞬歴史の表舞台へ
 西彼杵半島の最北端に位置する寄船鼻から南東約3キロのところに西彼西海町の横瀬浦がある。港の入り口には、白い十字架を頂く小島、八ノ子島がある。戦国大名が各地に割拠した時代、キリスト教の布教、そして南蛮貿易の拠点として突然、歴史の表舞台へと登場した港である。
 永禄4年(1561)、平戸を追われ布教の新天地を求めていたポルトガル人修道士が横瀬を訪問。天然の良港であることを知った。領主の大村純忠の要請もあり、それまで一寒村にすぎなかった港が一躍、国際的な貿易港に生まれ変わることになる。
 永禄5年6月に開港。港を臨む小高い丘には教会が建ち、各地から信者が続々と集まった。翌年春開かれた復活祭は、日本へのキリスト教伝来以来最も盛大に繰り広げられたという。
 間もなく、純忠が洗礼を受け、日本最初のキリシタン大名になった。教会周辺には下町、上町の商人街が形成され、国内各地から商人も集まってにぎわった。そこでは身分の差別がなく貿易では税も課されなかったという、ほかにない別天地が生まれた。だが、その繁栄も長く続くことはなかった。領内の仏教弾圧で大村藩では内乱が発生。同年10月、この港町に火が放たれ、住宅が密集した繁華街はたちまち炎に包まれた。貿易港としての役割はわずか1年余りで終止符を打ち、舞台は福田、長崎へと移る。
 今、穏やかな港内には小型漁船が係留され、養殖いかだが静かに浮かぶだけで当時の面影はない。八ノ子島の頂に再建された十字架が、貿易と信仰に一瞬輝いた港の名残をとどめている。

  メ   モ  
 港を見下ろす教会跡地が横瀬浦史跡公園として平成2年に整備されたほか、周辺には長崎の開港にゆかりのある長崎甚左衛門の住居跡、「南蛮船来航の地」記念碑などがある。また、港は対岸の佐世保市からの海の玄関口として町民らに利用された。現在、瀬川汽船の小型高速船が横瀬一佐世保間を1日9往復運航、所要時間は15分。

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