
| 面高港 (西彼西海町) |

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“黒船”並んだ最盛期 「荷積みの順番を待つ3本マストの大きな帆船が港内に何隻も並び、それはもう壮観だった。地元ではそんな船を“黒船”と呼んで親しんだ」。面高漁協理事の太田金之助さんは、昔の面高港を振り返り、懐かしそうに語る。 西彼杵半島の北端にあり佐世保湾口に近い面高港。外海に突き出た二つの岬、曲り鼻と松山崎に挟まれた深い入り江が、天然の良港を形づくっている。道路網が整備される前の“陸の孤島”の時代、同半島北部の玄関口として多くの人や物資が行き来した。 一度荒れ狂うと船の航行を拒んだ外海。岬が天然の防波堤となった港内は、少々の暴風には影響を受けない。古くから避難港としても知られ、航行中の船はあらしが過ぎ去るのをこの港で待った。 大正時代から昭和にかけ、佐世保が軍港として多くの船が出入りしたころ、面高港は佐世保に向かう帆船や機帆船が帆を休める場だった。また西海町の農産物を積み込むため帆船が次々と入港。崎戸や大島の石炭運搬船も寄港し、港は相次ぎ船が出入りした。 海上交通の要衝としてのにぎわいは、町に多くの潤いをもたらした。海岸通りは船員相手の旅館や商店などが並んだ。最盛期には遊郭も13軒を数えたという。三味線や太鼓の音色が夜遅くまで続いた。 戦後、船の大型化で港は手狭となり、寄港する船は次第に減少。陸上交通の進展も、農産物などの積み出し港としての価値を失わせた。今、港内には漁船や養殖いかだが静かに浮かび、かつてのにぎわいは見られなくなった。 |
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