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   丸田港   (西彼崎戸町)    


江戸初期から捕鯨で繁栄
 海の幸に恵まれた五島灘に浮かぶ江島。崎戸本島の西方19.6キロにある。古くは捕鯨、そしてイワシ網の基地として栄え、島を支えてきた。
 捕鯨とのかかわりは江戸時代初めにさかのぼる。大村領の捕鯨の始祖で、寛永8年(1631)ごろ、崎戸一帯の島々で操業を始めた深沢儀太夫勝清が、江島にも進出。その後、島の捕鯨は次第に盛んになり、深沢組のほかに鯨組が次々と訪れ、長年繁栄を続けた。
 明治時代まで五島灘や崎戸の沖合では巨鯨の潮吹きが見られた、という。文久元年(1861)、江島捕鯨が廃絶するまで島に基地を置いた鯨組は計12。200年以上の歴史の中で捕鯨が中断し、空浦となったのはわずか2年間だった。島は捕鯨のもたらす富で潤った。
 その後、捕鯨に代わって島を支えたのがイワシ網。半農半漁の暮らしの中で、イワシの回遊期は島民総出でイワシ網に取り組んだ。大正7年(1918)、煮干しの製造場が5カ所あった。また、島には出稼ぎで300人以上が訪れ、にぎわいを残した。
 島の玄関口、丸田港には現在、佐世保〜有川町友住間を結ぶ定期船が寄港。港内にはいそ建網などに従事する漁船が並んでいるが、捕鯨やイワシ網が盛んなころのにぎわいはなくなった。
 「昔、港の一角で月夜の晩にみんなで地引き網に取り組んだ。また、毎年3月10日には豊漁を願って各船が大漁旗を掲げて港内をパレードしていたが、ここ数年中断してしまった」。崎戸町漁協江島支所長の本田正吉さんが懐かしそうに話した。

  メ   モ  
 昭和33年から防波堤や護岸、荷揚げ場の建設など港の整備が進められた。崎戸漁協に准組合員も含め約140人が所属。漁船は約50隻。漁獲物は漁協の鮮魚船で佐世保へと運ばれる。佐世保〜友住間を結ぶ定期貨客船は隣の平島、崎戸とをそれぞれ約1時間で結ぶ。また、来年2月には島民待望のフェリーが同航路に就航する予定。

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