
| 高島港 (西彼高島町) |

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かつて石炭産出で活況 長崎港を出て約40分。白い高速船はスピードを緩め、高島港に着いた。2基の堤防と、沖に浮かぶ防波堤で構成する簡素で小さな港。船影はほとんどなく、岸壁を打つ波の音が響く。この港が活況を呈し、戦後日本の復興に大きな役割をはたしたのは、そう昔のことではない。 昭和20年代。石炭が「黒ダイヤ」と呼ばれたころ、職を求め、人は高島を目指した。三菱鉱業の社船「夕顔丸」が毎日3回ずつ、デッキに鈴なりの炭鉱従事者を降ろすと、島の人口は確実に増えていった。 同35年、人口2万1千人。同港のにぎわいは絶頂を迎えていた。500トン級の石炭運搬船、対岸の深堀から給水船、野母崎から野菜売りの小船。狭い港を大小の船がせわしく行き来した。「東門」と呼ばれた二子ふ頭では、水洗いされ黒光りする石炭が、巨大なベルトコンベヤーで次々と船積みされた。その光景は、驚異的な経済発展を遂げる「ニッポン」の象徴でもあった。 だが、時代は石炭を必要としなくなった。ヤマの灯が消えた昭和61年を境に、港の風景は一変する。石炭運搬船が姿を消し、貨物船は最盛期の十分の一以下に激減。人は再び職を求めて島を去り、船が出る度に町は寂しさを増していった。日本のエネルギー事情を支えた港は、静かにその使命を終えたかのよう。 現在、高島町の人口は1100人。島に住んで60年になる山崎徳さんは「店が少なくなり、ちょっとした買い物でも長崎に行かないと」という。閉山は皮肉にも、住人にとって港をより身近で大切な存在にした。かつて日本の発展を支えた港は今、「日本一小さな町」を支えねばならない。港の役目は、まだ終わっていない。 |
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