
| 香焼港 (西彼香焼町) |

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炭鉱の盛衰に伴い変化 長崎港口に位置する穏やかな入り江は、船の避難港として重宝され、海上交通の要所としても栄えた。現在、漁船と遊漁船合わせて100隻近くが、港内いっぱいに係留されている。漁船は約20隻で近海の一本釣りが主だ。 香焼の名の由来については伝説がある。地元の郷土史研究家によると「804年、空海が唐に渡るとき強い風に遭い、港に避難してきた。空海はこれからの航海の安全を祈って香をたいた。そこから香焼の名が付いた」という。 昭和初期、港は豊漁でにぎわいをみせた。特にイワシが大量に上がり、帆船のマストがぎっしりと林立。冬の朝ともなると「イワシ買えー、イワシ買えー」と威勢のいい漁師の声が寒風をついて響き渡った。売れ残りは干し、「ほしか」と呼ばれる肥料として人気があった。 以前は島だった香焼町。島内では良質の石炭が産出、採炭の歴史は約300年にも及んだ。昭和30年代半ばに最盛期を迎えたが、エネルギー革命で同39年、炭鉱は閉山、半数近くの住民が島を後にした。 明治以降、埋め立てが進み、今の港も姿を変えている。昭和43年、長崎市と陸続きになり、港は「島の玄関口」の役割を次第になくしていった。 「昔は港内に魚がわきよったけどね。今はわが家で食べる分だけ釣ってくるけど、寂しか」。毎日夕涼みに来る住民はこう話し、港内をじっと見詰めた。造船や炭鉱などの盛衰に伴い、港の風景は大きく変化した。しかし昔からの物静かな水面は今も住民を海に駆り立てている。 |
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