
| 出津港 (西彼外海町) |

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ド・ロ神父も整備に力 西彼杵半島を縦走する山々が海岸まで迫る外海町。角力灘の波が打ち寄せる海岸線は、至る所に断崖を形成、むき出しの自然が人々を圧倒する。その磯(いそ)を赤く染めながら、夕日が情感たっぷりに東シナ海に沈んでいく。 道路網が発達する以前、”陸の孤島”と呼ばれた同町。出津川河口のわずかな入り江にある出津にも、住民の足・定期客船が立ち寄った。海の玄関口として港はにぎわい、戦時中は出征する若者らが港で古里に別れを告げた。 以前は、まき網船団の母港としての役目も。海岸に立ち並んだイワシの水産加工場。「学校を出るとほとんどの人がまき網船に乗った。男は沖に出て、女は加工場で働いた。昔は本当に活気があった」と、漁業、浜口優さんが当時を懐かしく振り返る。 しかし、戦後まもなく、陸上交通が整備されるに従い、次第に客船はなくなり、まき網の船団も昭和30年代前半ごろ、姿を消した。現在は漁船など合わせて55隻が港を利用。こぢんまりとした湾内に一本釣りの小型船が並ぶ姿があるものの、往時のにぎわいは見られない。 港は江戸時代、キリシタンが新天地を求め、五島列島に船出した所でもある。明治に時は移り、その12年、外海の歴史に大きな功績を残したマルコ・ド・ロ神父が出津に赴任した。 授産場の設置や出津教会の建設などに当たった神父は、出津港の整備にも力を注いだ。海岸にあった大小の岩石を船が出入りできるよう取り除いた。さらに出津から約2キロ北西の砥石崎には、自費を投じて防波堤を建設したという記録が残る。 |
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