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   竹敷漁港   (対馬美津島町)    


海軍要港の名残も
 対馬の上下島を分かつ浅茅湾最奥部。美しいリアス式海岸の入り江に張り付くように形成された集落。今でこそ静かなたたずまいを見せるが、明治期は大陸をにらむ日本海軍の重要基地が置かれ、繁栄を極めた。
 明治19年(1886)、水雷施設部が設置されたのをきっかけに、海軍の艦船が出入りするようになり、日清戦争を経て同29年、海軍要港部となった。
 美津島町誌などによると、これ以降、竹敷地区は「海軍景気」に沸き、人口は2000人を突破、造船所などの軍施設が建設されたほか、一帯は上陸兵の休息地としても機能し、飲食店や各種商店がひしめくように並んだという。
 しかし、大正に入って要港部が廃止されると、集落は次第にさびれた。現在は海上自衛隊対馬防備隊本部が置かれており、わずかに往時を忍ばせる。
 ここに本拠がある美津島町西海漁協はイカ一本釣りや養殖が主力で、年間10億円を超える水揚げがある。  また大洋真珠竹敷事務所は上質真珠の生涯で知られ、全国真珠品評会で、むき落とし真珠の最高の栄誉である農林水産大臣賞を受けたこともある。
 湾内は絶好の風光を誇る。ヨットハーバーがあるほか、船釣りのポイントでもあり、休日には遊漁船が無数に集まる。春は海辺の緑に、ゲンカイツツジの鮮やかなピンク色が加わる。
 対岸の島山島は対馬では数少ない有人の離島だが、本土と結ぶ架橋(長さ124メートル)の建設が進んでおり、来年初めの供用開始が見込まれている。

  メ   モ  
 対馬空港から車で20分。真珠養殖場は昭和天皇ご夫婦も訪れた。「たかしきの うへかた山は くれないの やしほのいろに なりにけるかも」は万葉集にある天平の遣新羅使小判官の歌。町誌などによると、「たかしき」は竹敷のこととされる。遣新羅使が対馬を通過する際、竹敷で風待ちのため滞在。そのときに作られた歌といわれる。

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