83
   榎津港   (五島新魚目町)    


人と物流の基地に発展
 五島新魚目町の南端に位置する榎津港は、沖合の竹の子島が天然の防波堤になっている良港だ。近年、商業港としても栄えてきた。地名の由来は、エノキが多く群生していたことや、同港近くの弘法大師堂そばに、樹齢数百年のエノキの大木が残っていることからともいわれている。
 文治年間(1185〜1189)に豪族宇久氏が榎津に上陸。以後、島民は平地が少ないため、漁業を頼りに生活してきた。寛文元年(1661)、この地方一帯が五島藩と富江藩に分かれた。五島藩に残った有川、富江藩に移った魚目村の榎津は40年にわたる海域争いを繰り返した。捕鯨では江戸公訴にまで発展、幕府の裁決で魚目側の漁域は狭められた。
 榎津の漁業は明治になるとマグロ、イワシ、ブリ漁が盛んになり、大漁期には鮮魚運搬船も活気に帯びた。マグロ捕りの勇ましい「しび網唄」は今では数人が伝えるだけだ。魚目漁協(河合敏男組合長、345人)によると、昨年の水揚げは、シイラやイカ、クロダイなど約70トンで年々減少しているという。祖父の代から定置網漁を営む西村勝助さんは「開発や埋め立て、ビニールなどのごみが海を汚し、以前のようには魚が捕れなくなった」と話す。
 榎津港は昭和28年、第一種漁港に指定されたがその後、指定を取り消された。同港ではかつて集団就職の「金の卵」を乗せた船を見送った時代もあった。同45年、県地方港湾に指定され、防波堤やふ頭などの港湾整備が急速に進み、人と物流の基地として発展を遂げている。

  メ   モ  
 佐世保航路のフェリーが1日に3回入港、奇数日には一晩船体を休める。雑貨専用貨物船も週2回、定期運航している。新魚目町の海の玄関口として旅客ターミナルを備えている。
 港湾改修事業は5カ年ごとの計画で、年間に事業費約1億円をつぎ込んでいる。現在は約3000平方メートルを埋め立てる岸壁工事に着手。緑地事業も実施する予定。

文化百選みなと編/五島へ戻る