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   唐船之浦港   (五島岐宿町)    


昔は唐との貿易で繁栄
 岐宿港の西の奥深い入り江にある港。中国が唐と呼ばれていた時代に中国との貿易港として栄えたのが、地名の由来だという。
 日本から多くの使節を送った遣唐使が幕を閉じる九世紀ごろから、唐との貿易は始まったといわれている。当時の日本では珍しかった陶器や香木、ガラス細工などを満載した中国船が頻繁に出入りした。中国人の居住地もつくられ、大いににぎわっていたという。
 十六世紀には、中国の海賊の頭目、王直が五島で最初の根拠地とした。王直は、数十隻の船を従えながら、中国や朝鮮の沿岸を荒らし回り、倭寇(わこう)と呼ばれ恐れられた。
 その後も中国との貿易は何百年もの間、絶えることはなく、徳川幕府が鎖国を始めてからも、五島家に冥加金(みょうがきん)と呼ばれる税金を納め、ひそかに貿易を続けた。だが鎖国令が出て百数十年の後、幕府から改めて外国との貿易を禁止する通達があり、八百数十年にわたる中国との交易はついに途絶えた。
 明治以降は関西地方との交易が盛んになり、五島の海産物と関西の畳、家具などを交換していた。戦後も続いたが昭和40年代にこれも途絶え、貿易港としての長い歴史に幕を閉じた。
 遠方から船の往来がなくなった後も、陸上の交通の便が悪いため港は重要な玄関口だった。
 昭和61年に岐宿小中学校唐船之浦分校が休校になり、通学のため岐宿町の中心部とを結ぶ渡海船が一日三往復の運航を始めた。しかし、現在は船を利用する子供もいなくなり、同浦はひっそりと静まり返っている。

  メ   モ  
 今は数隻の一本釣り漁船が停泊している。昭和61年に国道384号に抜ける道路が舗装され、交通の便も改善された。家屋は10軒ほどを数えるだけで、往時の繁栄の面影はない。
 ただ、港のそばには海の神を祭った大曽根神社があり、この地にいた中国人が耕したといわれる水田が、今でも中国田(チューグツダ)と呼ばれている。

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