
| 城ケ岳平子遺跡 (宇久町) |

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一万年前人が住んでいた 今からほぼ一万年前の旧石器時代の終わりごろ、五島列島北部の宇久島に人が住んでいたことが明確に証明されているが、その証拠を示したのが城ケ岳平子遺跡でのことであった。 昭和五十八年一月、県立美術博物館が考古学の発掘調査を行った結果である。当時を振り返って、調査を担当した下川達弥は「実に熱意だけが調査を支えていた」と述懐する。担当した筆者も同感である。 発掘面積はわずか二十平方メートル、今では考えられないほど小規模で移動日を含めて十二日間の調査であった。しかし、成果はすばらしかった。 発掘された遺物は、一層八百七点、三層二十五点の石器と土器であるが、石器が主体の遺物である。特に一層については、細石核及びその粗型が四十二点も出土した他、わずか七点の土器の中には最も古いタイプの土器である隆起線文土器や押引文土器が認められた。 さらに重要なことは、炉の跡が確認されたことである。石で囲まれた楕円形の炉で、火熱を受けたと思われる亀裂の入った石器も検出されている。まさにここでは火が使用されているのであった。 城ケ岳平子遺跡が重要であるもう一つの理由は、旧石器時代に朝鮮半島を介して大陸と続いていた地形が、海の水位が上がり離島化していった時期に遺跡が営まれたと考えられることにある。これは石器の材料となる黒曜石の原料が手に入れにくくなり、小指大のものまで使用されていることが根拠となっている。 (立平 進) |
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