
| 上五島神楽 (新魚目町) |

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素朴さの中にも勇壮さ 五島列島の中通島のうち旧藩時代富江藩に属していた上五島町の青方、奈摩、網上、新魚目町の浦桑、榎津、似首、小串、立串、曽根の各神社に伝承されて来た神楽を上五島神楽と称している。 もともと五島全域に伝承された神楽を一般に五島神楽と称していたのであろうが、その源流こそは、平戸神楽であった。これに五島独自の所作が考えられ、改良されたのが五島神楽であろうといわれている。 五島では、万治二年(1659)、五島藩の中から二十か村、高三千石をもって分知して富江藩が創設されたが、上五島のうち青方、魚目など九か村が富江領となった。 当時、魚目浦内では鯨漁の初期で、豊漁の兆しが見え始めたころであった。藩主盛清は、高三千石の乏しい財源を魚目浦の漁獲に大いなる期待をかけ、漁業の督励をし、豊漁祈願の舞神楽に勇壮さを取り入れることを望んで改良されたのが上五島神楽として今日伝承されているであろうといわれている。 上五島神楽独自の代表的な点は、里神楽独自の素朴さの中に遺憾なく表現されている勇壮さであり、めりはりのきいた律動的な舞いの所作に加えて奏でる笛の音色と旋律であり、大太鼓、小太鼓を叩き分ける撥(ばち)さばきの躍動的な妙技であろう。 残されている書き物によると往時は、舞いの番数も四十八番あったと記されている。現在継承されているのは三十番を数えるまでに至っている。それらの中で最も代表的なものは神幣、神相撲、四剣、折敷、納舞となっている二組の天狗と獅子が乱舞する獅子舞であろう。上五島神楽は昭和五十六年三月県指定の無形民俗文化財となっている。 (浦 敏雄) |
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