
| 青方念仏踊り (上五島町) |

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「ナモデ、ナモデ」と踊る 青方では、往古から盆行事として、盆の中日である旧暦七月十四日(現在は新暦八月十四日)に青方念仏踊りが行われていた。 幟持ち二人、鉦叩き二人、踊り手数十人が一団として編成されている。全員が白襦袢に白股引き、手甲、脚半、藁草履、編笠といった身ごしらえであるが、踊り手は、さらに赤いたすきがけをして、「南無阿弥陀仏」の名号を書いた小型の赤い幟を背に立てて結わえ付け、胸元に胴長の小太鼓を結わえて列を作り、幟持ち、鉦叩きに従って踊り場に至る。 踊り場では幟持ちが扇を開いて打ち振りながら「ヒョイ、ヒョイ」の発声に続いて鉦が叩き鳴らされると、踊り手は「ナモデ、ナモデ」と唱えながら、円を描いて太鼓を叩きながら右回り、左回りをしながら踊るのである。 この芸能にかかわる記録など皆無であるが、口伝えによれば、鎌倉時代から西浦部一帯を支配していた豪族の青方氏第十八代玄雅と雅廣の父子は文禄元年(1592)、朝鮮出兵に手兵を従え五島軍として出陣したが、順安城攻撃では多くの死者を出すに至った。青方氏は凱旋するや、戦死した将兵の供養を行うとともに、慰霊のために念仏踊りを村人らに行わせたのが念仏踊りの始まりであるという。 大正の末ごろ廃絶されていたのを、昭和期に入り有志の提唱によって復活していたが、第二次世界大戦によってまたしても廃絶の止むなきに至った。戦後、老人クラブの結成によって、お年寄りらによって復活され今日に至っている。 (浦 敏雄) |
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