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<6・完>
再出発 思いさまざま“新生活”

 長崎市賑町、親和銀行長崎支店の機械室。ここが元炭鉱員、廣山一也さん(37)の現在の職場。支店の電気施設や市内の社宅の管理などが主な業務。「親和銀行嘱託職員」が新しい肩書だ。

 出身地は池島(西彼外海町)の対岸、同町神浦郷。農家の長男で、地元に残るため池島炭鉱で働く道を選んだ。高校卒業後、職業訓練校で一年、電気関係の技術を学び、同炭鉱に入った。十七年間、電気施設の保守管理をしてきた。「定年まで働くつもりでいた」が昨年十一月あっけなく閉山。

 「妻と幼い子どもが三人いる。これから仕事はどうすればいいのか。住む場所はどうなるのか」。不安は募った。


機械室で機材の点検をする廣山さん。閉山から1年、元炭鉱員たちはそれぞれの道を歩んでいる=長崎市賑町、親和銀行長崎支店
 閉山後も残務処理のため池島に残った。炭鉱を経営した会社からは国の炭鉱技術移転五カ年事業にも残るよう頼まれたが、残務処理をしながら職を探した。「(移転計画が)何十年も続くのならいいが、期間は五年間。五年後にはまた、新しい職を探さないといけない。その間に年は取る。今のうちに新しい仕事を探した方がいいと思った」

 公共職業安定所を通して今の職場の求人を見つけた。電気工事一種の免許が条件。炭鉱での技術が生かせる職場。すぐに応募した。男社会だった炭鉱とは全く違う環境に最初は戸惑ったが、再就職から八カ月が過ぎ、毎朝、バスで銀行に通う生活にもすっかり慣れた。

 澤田久雄さんは来年四月で五十歳になる。閉山後、公共職業安定所に通ったがいい仕事が見つからず、現在は職業訓練を受けている。

 閉山までの十五年間、単身赴任を続けた。閉山してよかったと思えたのは、半年間だけだったが今年五月に結婚した長女(25)と一緒に暮らせたことだ。

 故郷の西彼大島町で夫婦二人暮らし。子ども二人は独立したが、まだ、住宅ローンが数年残っている。「閉山があと五、六年遅れてくれたらよかったが。いよいよになったら県外にまた、単身赴任かな」

 池島に残る人、去った人。さまざまな思いで閉山一年を迎えた。テレビや新聞で池島のことが度々取り上げられた。小学三年になる廣山さんの長男は、テレビで池島のことが放送されると食い入るように見る。「子どもたちにとって池島は生まれ故郷。今度、家族で行ってみようか」。机に挟んだ池島が写るテレホンカードを見ながら廣山さんはつぶやいた。

 (大瀬戸支局・大櫛格、報道部・永瀬徳豊が担当しました)

(2002年月11月30日掲載)


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