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旅館主 客ないが一生いたい

 「ゴーッ、ゴーッ」。炭鉱開発前から池島で暮らす人たちの家が並ぶ郷地区にある福屋旅館。この時期になると、北西の季節風が吹きすさぶ音で目覚める宿泊客もいる。風は時折電線を鳴らし、窓枠をカタカタと揺さぶる。

 「この商売をして四十年になるとですよ」。竹野タヱさん(72)は一九五六年、二十七歳のとき、夫と一緒に夫の古里・池島に来た。四人の子どもをもうけたが、夫は六六年に死亡。女手一つで旅館を切り盛りし、子どもを育てた。

 町が民間に運航委託している小型船の欠航を知らせる連絡が防災無線のスピーカーから流れた。

 「もう、客はいませんよ。この間は一週間ほど海底送水管の工事の作業員が泊まりましたけどね」。閉山時、島には郷地区に二軒の旅館があったが、一軒は営業をやめた。現在の宿泊施設は福屋旅館と町営の総合福祉センターの二つ。合わせても三十人ほどが宿泊できる程度だ。


炭鉱開発前から島に住む住民たちが暮らす郷地区=西彼外海町池島
 竹野さん方の居間には、六〇年に撮影された池島の航空写真が飾られている。現在の池島港に当たる所にあった鏡池の縁を切り取り、港を築いたときの写真。

 前年には営業出炭が始まり本格的な操業に入った時期。写真には建設中のアパート群が見え、島が石炭産業で成長している様子がうかがえる。竹野さん夫婦にとっても旅館業が軌道に乗り希望に燃えていたころだった。

 「郷地区のお年寄りたちもだんだん減ってしもうてですね。ちゃんとした病院がないと不便て言うて出て行きよりますと。船は欠航が多くてですね」

 閉山前には炭鉱が経営する総合病院があったが閉山で閉鎖。病院施設を町が借り上げ、医師一人と看護師二人、事務員の四人態勢で住民の診療に当たっている。看護師らは島外からの通勤者で、夜間は医師一人。緊急を要する事態が発生した場合はどうなるのか。船が欠航した場合は―。住民の不安は大きい。

 「島の外に行った人から『池島はよかった』と泣いて電話があったと知人から聞きました。わたしはここに一生いるつもりですから。近所の仲間と『一緒におろでねえ』と話しているんですよ」と竹野さん。

 今度は、フェリーの欠航を告げる防災無線放送が流れた。

 炭鉱操業が始まる前の島の住民は約三百五十人。現在実施中の国の海外技術移転五カ年計画の終了後は百人程度の年寄りだけの島になってしまうと話す人もいる。

(2002年月11月26日掲載)


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