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お年寄り いつまでいられるか

 九州最後の炭鉱だった池島炭鉱が閉山して二十九日で丸一年になる。この間、人口は四分の一程度に減り、生活は一変した。厳しさを増す不況の中、元炭鉱マンたちの再就職はなかなか進まない。島の現状と、そこで暮らした人々のその後を追った。

 「炭鉱が閉山してもこの地区はあまり変わらないと思っていたが、顔なじみが三十人くらい減ったな。老人ホームに入った人もいれば、島を出た子どものところに行った人もいるよ」

 池島(西彼外海町)の郷地区で暮らす林義郎さん(76)が、ヤマの灯が消えてからの変わり様を静かに語った。

 郷地区は炭鉱が開発される前からの集落。その一角にある集会所「老人憩の家」には毎日数人のお年寄りが集まる。林さんも度々顔を出して世間話に花を咲かせるが、閉山後、訪れるお年寄りは少なくなったという。


「いつまでも池島にいられるとは限らない」と話す林善郎さん=西彼外海町池島郷地区
 九月末に町の本土地区からの送水管が完成。炭鉱が運営していた病院や浴場は町営になった。本土と島を結ぶ船便は半減し不便にはなったが、直接、生活に支障が出ているわけではない。だが、人口の減少だけは避けようがない。一年前、約二千七百人だった人口は七百人を切っている。

 それでも「今はまだいい」と郷地区の人たちは口をそろえる。採炭技術などを海外に伝授するため、今年四月に島で始まった国の炭鉱技術移転五カ年計画に元炭鉱員約百人が従事しているからだ。しかし、五カ年計画が終わればさらに人口が減るのは目に見えている。「島に残るのは郷地区の人と、年金生活者くらいだろう」。林さんが言う。

 「この前、テレビで平戸の高島のことをやりよった」。郷地区の東区長を務める山村千秋さん(73)が憩の家に入って来るなり切り出した。住民九世帯三十五人が暮らす平戸市の離島・高島で、本土側への集団移転を検討しているという話題のことだ。

 「移転費用はいくらくらい見てもらえるのか」「住む所を用意してもらわんと移転できん」。郷地区の人たちはいつになく真剣に語り合う。「高島の話は人ごとじゃあない」。山村さんの言葉に皆がうなずいた。

 郷地区の海は炭鉱から出たボタで埋め立てられ、海岸には今も濁った海水が漂う。「会社に言っても、行政に訴えても状況は変わらない」と住民たちは思っている。炭鉱は池島に繁栄をもたらしたが、傷跡も残した。「郷地区にとって炭鉱とは何だったのか」。住民たちは自問する。

 林さんは時折、船で三十分ほどの対岸・大瀬戸町にいる三男の顔を思い浮かべる。三男は自宅の二部屋を両親のために空けているという。林さんは池島で生まれ、炭鉱で働き、定年後は郷地区の区長も務めた生粋の池島人だ。「古里は離れ難い。が、いつまでもここにいられるとは限らない。誰もがそう思っとるでしょう」。林さんはつぶやいた。

(2002年月11月25日掲載)


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