タイトルカット
<4・完>
島を離れて 自分で新たな支え探し

 元採炭作業員の立長耕二さん(51)は、佐世保公共職業安定所(佐世保市稲荷町)を時々訪れる。大学卒とおぼしき若者が必死に職を探している姿も目に入る。先行きの厳しさを物語るようだ。

 「自分だってどんな仕事もする気はあるが、この年だし、資格もない。働き口はあるかどうか」

 三月、二人の娘がいる同市へ引っ越し桜木町の県営住宅で暮らし始めた。閉山から半年たつが再就職先は見つからない。二度申し込んだ職業訓練には漏れた。今も産業機械オペレーションコースを申し込んでいるが―。


新生活を始めて4カ月たった横尾さん一家。子どもたちの笑顔が支えだ=長崎市かき道3丁目
 家賃はわずか、水道代と共同ぶろは会社負担。そんな池島の生活に比べると、出費はかさむ。立長さんは炭鉱離職者求職手帳(黒手帳)を交付されているが、年内には失業給付が終わり、就職促進手当に切り替わる。そうなれば支給額は現在の半分程度。妻の弘子さん(50)は「いよいよ生活できなくなるかも」と焦りを募らせる。

 それでも立長さんは、ようやく気持ちを切り替えつつある。「自分で切り開かないと。誰も助けてはくれんけん」。先は深い霧だが、前に進むほかない。

 島が丸ごと「共同体」をなしていた池島。そこを離れた人々は今、自分の手で新たな支えを探している。

 炭鉱で資材運搬などを九年余り続けた横尾智仁さん(36)の転居先は、長崎市かき道三丁目の雇用促進住宅。一月末、一家五人で移り住んだ。

 ここに住むつもりはなかった。大型自動車免許を取り、出身地の佐賀市でトラック運転手をするはずが、試験に落ちてしまった。すぐさま職安に駆け込み、三菱重工長崎造船所の協力会社に採用された。

 運転手をあきらめ、今の会社で面接を受けるまで、わずか二日間。不安と焦りが生んだ即断だった。「結果的にだけど、すぐ行動してよかった」。同造船所が建造する豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」の電路溶接に汗を流す日々だ。

 「長崎は信号機が多かね」「救急車が走りよる」。市立矢上小に通う三人の子ども、真実君(10)、健太君(9つ)、美香さん(8つ)は引っ越し直後、小さな発見をしては驚いていた。友達もでき、学校生活になじんでいるのは、横尾さんや妻初音さん(39)にとって支えだ。

 その子どもたちが最近、横尾さんが撮った池島小の運動会風景などのビデオを見たがる。だが、横尾さんは今は応じていない。「かえって寂しくなるだろうから。もう少し待たないとね。もう少し」

(大瀬戸支局・大櫛格、報道部・田渕徹郎、佐世保支社・村田傑人が担当しました)
(2002年月5月31日掲載)


←前頁 池島炭鉱TOP