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仕事 「安か給料より保険がまし」

 閉山翌日の昨年十一月三十日から池島で炭鉱関連離職者らの就職あっせんを続けてきた大瀬戸公共職業安定所池島臨時相談所が三十日で閉鎖される。多忙期には十三人の職員が常駐し対応したが、今月からは三人態勢に縮小。相談に訪れる人も最近は一日平均十数人だった。

 長崎労働局のまとめでは、四月三十日までの求職者千二百十九人のうち就職決定者は百三十一人(県内に百二十一人)。依然、九百六十三人が県内で失業中で、池島にも約三百七十人がいるとみているが「就職者数は厳しい数字だが、臨時相談所業務は当初予定通り終了する」(同局)。

 今月二十二日、炭鉱の下請け会社で坑内作業員として十五年間働いたという独身男性(42)が友人と臨時相談所を訪れた。「こっちが望む条件に合う仕事がなか。閉山で解雇される前は手取り三十万円あったが、今は十六万円の雇用保険暮らし。そいでも安か給料より保険の方がましたい」。建設業関係の仕事を探しているという男性はそう言い、出ていった。島の現状を代弁しているように聞こえた。


28日の研修開講式で海外研修生のあいさつに拍手を送る三井松島リソーシスの社員=西彼外海町池島
 炭鉱技術を海外に移すため四月から本格的に始まった国の事業「炭鉱技術移転五カ年計画」。池島と、太平洋炭砿があった北海道釧路市で実施されている。池島で唯一「希望の灯」をともす会社がこの事業を担当する三井松島リソーシス(飯島幸夫社長)。県内で再就職した元炭鉱マンの多くがここで働く。

 二十八日、池島の同社で、新たに加わったインドネシア人研修生二十人と、先に研修に入っていたベトナム人研修生八人の研修開講式があった。国、県、外海町の関係者らが見守る中、緊張した面もちの研修生を代表しインドネシア人のシホンビンさんが「期待に沿えるよう頑張りたい」と決意。飯島社長は「保安、採炭技術を人から人へ伝え、一方通行ではなくお互いに学び合うものにしたい。池島を交流の基地として新しい池島をつくっていこう」と述べた。

 研修生の教育担当を務める元炭鉱マン、宮岡敏一さん(50)も出席。笑顔で「(研修生は)一生懸命で吸収が早い。質問がよく出る」と高く評価していた。同社で指導に当たる元炭鉱マンらは総勢約百人。「もっと、すみ(石炭)を掘りたかった」「定年はヤマで迎えたかった」。みんな口に出さないが、胸に去来する思いは同じに違いない。
(2002年月5月30日掲載)


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