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コミュニティー 不安あるが踏ん張って

 九州で最後まで操業した池島炭鉱(西彼外海町)が閉山して二十九日で半年。ヤマと生きた人々の近況を追った。

 「やめようか、どうしようか考えている」。開店準備の手を休めて話すのは池島唯一のすし店「新浪花」の経営者、桑原稀夫さん(59)。島に三軒ある飲食店の一つだ。

 店は総合飲食街・新店街にある。一九六七年に造られた棟続きの鉄筋二階建ての一角。「炭鉱が景気で、にぎやかなころはよかった。時々けんかもあったけどね」。ここで競って商売をしていた仲間は次々と店をたたんでしまったという。

 近くにある公共施設、総合福祉センター内でレストラン「松涛苑」を営む渡邉一三さん(59)は約三十年前、池島に来てスーパー二階でレストランを始めた。同センターの管理人もしている。「客はがた落ちだが、センターがあるうちは何とかやっていける」と話す。


開店日に店の看板を掲げる岩城滝子さん(左)。寂れていく島で新たな挑戦が始まった=23日、西彼外海町池島
 寂れていく新店街の一角に二十三日、居酒屋「蓮(れん)」が開店した。経営するのは炭鉱の下請けで十五年働いた岩城伸夫さん(51)。妻の滝子さんが動機を話す。「正直、不安はあるけど、みんな出ていく中で一人くらい踏ん張ってもいいんじゃないかと思って」。居酒屋と焼き肉店を合わせたような店にするのが二人の目標。開店の日、店内は手伝いに駆け付けた大勢の仲間と、お祝いの花でいっぱいになった。

 島中央にある三井松島産業スーパー営業部池島店は、大勢の住民が島を離れた三月、衣料品を中心に売り場の三分の二を閉じた。今月二十六日には商品の種類は変えず陳列数を減らし、残った売り場をさらに縮小。一カ月の売り上げは二千万円を切り閉山前の約五分の一、五十人いた従業員も今は十人という。「年間売り上げも約十五年前のピーク時の十分の一の二億円程度になりそう」。島村広次店長(49)の表情はさえない。

 学校では、数人の子どもが広いグラウンドで体育の授業を受ける光景が見られる。児童数三十八人の池島小の矢竹武則校長は「理想的な学習ができる半面、ゲームや合唱など集団で行うものに弊害が出ている」。生徒数二十二人の池島中でも同じような悩みがある。「部活動が十分できないのがかわいそう」。杉澤伸慈校長は寂しげだ。

 閉山当時、二千七百十人だった人口は二十七日現在、八百八十九人。島北部の斜面にある墓地では、魂が入っているとされる竿(さお)石がなくなった墓が増え、住民の“棄島”が続いていることを物語る。

(2002年月5月28日掲載)


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