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遠くで青い海が春光に映える。のどかな池島の海辺。だが島の北岸沿いの潮は数百メートルにわたり、うっすらと茶褐色に染まっている。
池島では、採炭作業の際に出たボタで海岸を埋め立ててきた。炭鉱の開発時代から四十数年もの間、ボタは緩んで海中に流れ出し、浜辺を濁らせている。
「遠い昔は海岸でアワビが簡単に採れたが、もう元の姿はない。波が強いときなんか、ボタが浜に打ち寄せてひどいもんです」

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ボタで濁った浜辺に立つ林義郎さん。「将来もずっとこうなのか」と案じる=西彼外海町池島
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地元老人会長の林義郎さん(76)は海を見るたび、気がめいる。島は基幹産業を失い、人もめっきり減った。なのに炭鉱の“負の遺産”は存在し続ける。海に通じる排水路をボタがふさぎ、会社側がかき出してもまた詰まる。その繰り返し。林さんはこの状態が延々と続くのを思うとやるせない。
池島炭鉱を経営してきた松島炭鉱(本社福岡市)は約二十年前から、沖合を矢板などで封鎖する計画を進めてきた。だが、“ボタ浜”の脇に護岸ができたにすぎない。
閉山で新たなボタ発生がなくなり、同社は封鎖する水面積を当初計画の半分以下(約一万六千平方メートル)に縮小、県に申請変更した。だが問題は残る。ボタは深さ約四十メートルの海底にまですそ野を広げている。外周を閉め切るのは不可能に近い。
工法をめぐり、同社と協議を続けている県港湾課は「有害物質でない以上、巨費を投じて完全な策を立てなさい、とは言えない。流出を最低限に抑える方法を探るほかない」とする。
離島炭鉱が宿命的に背負うボタの流出。三菱崎戸炭鉱の閉山から三十四年になる離島、西彼崎戸町は今も悩む。地元の海水浴場はボタで濁り、わずかに白浜が残るだけ。この無残な姿に手の施しようがないからだ。
地元が「災害」と訴えても、法的には賠償の対象外。会社側も「法律上の非はなく、責任は負えない」とする。誰も「環境破壊」に振り向かない時代から、延々と垂れ流されてきたボタ。今も付けが回る。
二十二日、長崎市であった池島炭鉱の閉山式。松島炭鉱の親会社、三井松島産業の多河喜史社長は「子どもたちが将来、何度も池島を訪ねて来られるような環境を責任を持ってつくりたい」と述べ、こう結んだ。「炭鉱開発には七年を要した。立派な地域開発には、もっともっと時間がかかると思います」
長い時間の先に、池島の美しい浜を想像するのは、今は難しい。
(2002年月3月30日掲載)
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