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夜明け前のまだ薄暗い池島。岩松幸夫さん(67)の工場では午前四時から作り始めたパンが焼き上がり、香ばしいにおいが漂っている。
池島でパン作りを始めて約四十年。小学校と中学校の給食で出されるパンも長年、届けてきた。炭鉱が活気にあふれていた約二十年前には一日に千二百個焼いた。しかし炭鉱の衰退とともに量は減り、この一年は四百個。工場の従業員は多いとき五人いたが、今では妻の富子さん(60)と二人の作業。

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これからも子どもたちには出来たてのおいしいパンを食べさせたいと言う岩松さん=西彼外海町池島
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岩松さんは池島に近い松島で生まれ育った。高校卒業後に関東で就職。製パン技術を身に付けて池島へ。島に家も建てた。
炭鉱住宅が周囲に立ち並ぶ池島総合食品小売センターに構える店には午後三時を過ぎると、授業を終えた小学生が次々と訪れ、パンや駄菓子を買い求める。最近、子どもたちと交わす言葉は引っ越しのことばかり。「みんなおらんごとなるなあ」。寂しさが募る。
かつて二十軒以上の店があった小売センターで、現在営業しているのはわずか六店舗。閉じたシャッターが目立つ。
外海町商工会によると、池島で小売りやサービス業をしている会員業者のうち、約三分の一に当たる七軒が炭鉱閉山後に廃業した。
岩松さんも仕事を続けるかどうか悩んだ。元炭鉱マンの家族らが相次いで島外へ移転する中、店に来る子どもたちも減ってきた。給食用のパンは四月以降、さらに減って百個程度になると聞いている。
大きなオーブンを使うと経費のロスが大きいが、パン作りだけは続けようと思っている。「おじちゃんのパン、おいしかったよ」。そう言ってくれる子どもたちの言葉が忘れられないからだ。
岩松さんはパンを作る量が減った五年ほど前から、給食の当日に焼くようにした。すると、子どもたちが喜んで声を掛けてくれるようになった。うれしかった。
「採算が合わないのは分かっている。でも子どもたちに出来たてのおいしいパンをこれからも食べてほしい」。そう思うと、ますますやめることはできないと思うようになった。
子どもたちのはしゃぐ声がだんだん少なくなる池島。岩松さんの出来たてパンのぬくもりは、これからも子どもたちの笑顔をつくり続けるに違いない。
(2002年月3月26日掲載)
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