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「健康と再就職を願って乾杯!」
今月十九日夜。池島の高台にある新店街のすし屋に、二十―五十代の男女二十一人が集まった。池島で介護ヘルパーの職業訓練を受けた元炭鉱マンらの送別会だ。翌日から大半の人が島を去る。
講師を務めた医療教育看護婦の柴田しのぶさん(53)から、一人ひとりに実習の写真が贈られた。押した車いすの重み、慣れない包丁扱いの難しさ…。だが、写真は笑顔でいっぱいだ。「本当に楽しくやれた。柴田先生とみんなのおかげ」と八木繁さん(52)がつぶやく。

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再就職を誓い乾杯する炭鉱離職者の介護ヘルパー職業訓練生=西彼外海町池島
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高島で五年、池島で二十五年働き、坑道を掘る掘進に従事した。「高校に行かなかった。人に言えんこともした」。そんな自分を、ヤマが一人前の男に鍛えてくれた。
近年の坑内は機械化が進み、その分仲間は減った。粉じんが舞う中、五分間で弁当をかき込んだ。能率主義に神経はささくれ、会社への不信が胸に渦巻き、険しい表情で閉山を迎えた。
しかし、職業訓練が八木さんを変えた。老人ホームのベッドでお年寄りを抱き起こすと、「痛か。何ばすっとか」とつばを吐き掛けられたが、「すまんね」と笑顔で返せた。「今までは炭が相手だったが、今度は人が相手。相手の気持ちを考えんといかん」。いかつい顔の奥の目は優しい。
柴田さんはかつて炭鉱が栄えた福岡県飯塚市の出身。それだけに訓練生が他人に思えなかった。「炭鉱の人は純粋でいちず。介護に向いている。今まで教えた中で最高の訓練生でした」と太鼓判を押し、「あとは仕事が見つかれば…」と案じた。
炭鉱の閉山で約千二百人が離職したが、再就職者はまだ五十六人(十五日現在)。過去最悪の雇用情勢の中、福祉施設職員の給与も決して高くはない。ある訓練生は「炭鉱の半分だろう。一家の大黒柱としては厳しい」と不安を隠さない。
だが、三人の子どもの父親の水野親さん(34)は言う。「十六年間勤めた炭鉱が閉山して、本当にしょげていた。でも、人を相手にする仕事の面白さと思いやりの心を知った。妻も『優しくなったよね』と言ってくれます。やれますよ」
訓練生の胸には何よりも大切な「希望」が芽生えた。「明日」は、きっと来るだろう。
(2002年月3月25日掲載)
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