池島に生まれて
タイトルカット
<9・完>

皆家族みたいなもの 帰る場所なくなる寂しさ

 「生まれた所がなくなる。帰る所がなくなるのは、寂しかですよ」。長崎市内の焼き鳥店で開店の準備をしながら、木崎慎吾さん(24)はつぶやいた。

 大学卒業後、福岡県内で働いたが、今年二月、長崎市に戻り焼き鳥店を開いた。店には池島出身者や、長崎に来た池島の人たちがよく立ち寄る。

 父親は十八の時から池島炭鉱で働いている。母親は池島小学校の事務職員。二つ下の弟と池島で生まれ育った。

 池島のほとんどの住宅には、ふろがない。皆、島内に四カ所ある炭鉱の共同浴場を利用する。いつも友達と一緒にふろに行った。そこには炭鉱で働く人たちもたくさんいるし、学校の先生に会うこともあった。

 「ふろも一緒、何でも一緒。周囲四キロの島、どこに行っても顔を合わせる。皆家族みたいなもの」

「池島に生まれてよかった」と話す木崎さん=長崎市滑石5丁目
 父親は仕事の話をよくした。胸まで水に漬かりながら弁当を食べたことなどをユーモアたっぷりに話した。ある日、仕事を終えた父親を迎えにいくと顔が真っ黒で、白いのは目と歯だけだった。その時、「おやじたちは命懸けで働いているんだ」と思った。

 「閉山が提案され、父親が一緒に飲みながら、これからの話をしてくれるようになった」と少しうれしそうに話す。

 「時間がゆっくり流れて、のんびりできる。行ったら帰りたくなくなる」。それが木崎さんにとっての池島。仕込みをする手を止めて、ぽつりと言った。「池島に生まれてよかった。育ってよかった」。理由を聞かれても、うまくは答えられないという。ただ、「あそこでしかできない生活があった」。

 今月四日、池島のグラウンドに球音が響いた。中学時代は野球部員。長崎や福岡、熊本などにいる同級生や後輩たちに呼び掛け、試合をした。野球部の顧問だった教師や池島小学校に勤務していた教師も長崎から駆け付けた。父母らも観戦に訪れ、点数が入ると歓声がわき起こった。

 「池島で野球をするのも最後かな」。そんな気持ちもあった。だが、試合後、仲間たちと誓った。「閉山してもまた、池島で野球をやろう」(大瀬戸支局・松尾潤、報道部・永瀬徳豊、村田傑人が担当しました)

(11月8日掲載)


前項