見えない明日
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不安の種は尽きない ヤマに染みついた思い出と汗

 引き締まった体つき。ざっくばらんな物言い。ヤマ男のイメージそのままの直轄鉱員、出口行夫さん(47)は「今は不安で今後のことばかり考えとるよ」とこぼした。

 農業の傍ら、出稼ぎもして暮らしていた一九八四年、炭鉱で働いていた叔父から「金になるぞ」と誘われ、故郷の五島岐宿町を離れて池島へ。半年後には妻貴茶代さん(42)と幼い娘たちを呼び寄せ、一家水入らずの生活を手に入れた。

 仕事は坑道を掘る掘進作業員。当時は石炭層にダイナマイトを仕掛けて爆破し、ドリルを手にして掘り進んだ。「きつかったが、体が丈夫だったのですぐ慣れた。炭鉱は年功序列じゃなく、働けばそれだけ収入になる。やりがいがあった」

「ヤマで働いたもんはそれなりに誇りを持っとる」という出口さん=西彼外海町池島
 五年前には目標だった「先山」(さきやま・職場リーダー)になり、「定年まで頑張ろう」と胸に誓った。それもつかの間。昨年の坑内火災後、採炭現場は変更を余儀なくされ、一気に採掘条件が悪化した。「出水に断層…、ボタ(岩)も多くなった。掘進のペースががくんと落ち、先は厳しいと思った」

 悪い予感は的中した。今月二十九日の閉山と従業員全員解雇という会社提案。「この年で今と同じ月収四十万円の仕事はないだろう」と覚悟はしている。だが、大学二年の長女(20)と私立高に通う二女(18)、三女(16)は親元を離れ、長崎市で暮らす。仕送りは月二十万円に近い。

 今、悔やまれるのが九九年四月に始まった賃金25%削減だ。月に十万円以上を引かれた。「会社がヤマは存続させると言うから我慢した。総額は三百万円になるだろう。全額は無理としても、できるだけ慰労金として返してほしい」。労働組合と会社の交渉を見守っている。

 賃金削減が始まったとき、娘たちが「私たちは学校に行けるの」と心配そうに聞いてきた。「借金しても行かせるさ。心配するな」。そう言って大げさに笑ったのを思い出す。

 貴茶代さんとは「娘たちが学校を出るまで頑張ろう」と励まし合う。だが頭の中は「まずは家探し。それから家賃、税金、年金、保険、ローンの支払いもある。退職金はいつまで持つのか」と不安の種が尽きない。

 危険と隣り合わせで働いてきたが、大けがをしたことはない。「先輩たちの教えをしっかり守ったから」と誇りに思う。思い出と汗が染み付いたヤマの灯はもうじき消える。「最後の日に何を思うかなあ。今は…、分からん」

(11月7日掲載)


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