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痛いほど気持ち分かる かつて故郷で閉山を経験
「私に故郷はないようなものだ」。池島中学校の杉沢伸慈校長(52)は最近まで、心にぽっかり穴があいたような気持ちで半生を過ごしてきた。
かつて「炭鉱の島」として栄えた西彼崎戸町で生まれ、九歳で隣町の大島町へ引っ越した。炭鉱が全盛期だった一九六〇年代、まだ離島だった両町には計四万人が暮らし、活気にあふれていた。
炭鉱マン一家の友達の家へ遊びに行くと、当時珍しいテレビがあった。ケーキや、冷蔵庫で冷やした果物がおやつに出てきた。「炭鉱マンの家庭は羽振りがよく、うらやましかった」
しかし県立大崎高校(大島町)を卒業した翌年の六八年、三菱崎戸炭鉱が閉山。二年後に松島炭鉱大島鉱業所も姿を消した。友は全国に離散し、故郷は急速に寂れた。
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自身の過去と重ね合わせ、子どもたちを見守る杉沢校長=西彼外海町池島、池島中学校
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がらんとした町。廃虚と化した炭鉱アパート。長崎市の大学から帰省するたびに、むなしさとやるせなさが胸に込み上げてきた。「帰っても友達はいない。寂しいばかりの故郷に帰りたくなかった」。実家への足は遠のいた。
池島炭鉱の従業員の平均年齢は働き盛りの四十三歳。子どもたちも育ち盛り。池島中学校には外海町の中学校で最多の百五十人が通う。閉山すれば、自分の過去と同じように多くの炭鉱マンが島を去り、子どもたちは離散する。
閉山を控え、池島中は近く、全生徒を対象に保護者を交えた三者面談を始める。特に、受験を控えた三年生と保護者の心労は大きい。「転校先の学校と緊密に連絡を取り、本人の進路に支障が出ないようにしよう」と職員に指示している。
五年前、大島町で中学校の同窓会が開かれた。二百人の旧友が集まり、思い出を語り合い、飲み明かした。その時、心の中でずっとなくしていた何かを取り戻したような気がした。
今年の初夏、無性に故郷が恋しくなり、一人で大島町を訪ねた。見晴らしの良い山に登り、島をぐるりと見渡した。「何も変わっていない。ここがぼくの故郷だ」。素直にそう思えた。
「池島の子どもは純朴。そこを失わず、たくましさも身に付けてほしい。今はつらいが、いつかここに戻り、友と再会する日がきっと来る」。生徒の気持ちが痛いほどに分かる杉沢校長は今、心中でそう語りかけている。
(11月5日掲載)
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