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港やヤマ、写真に収め 今度は見送られる立場に
池島港に船が着く時刻になると、馬場仁良さん(63)は、桟橋までとことこと歩いていく。船が着岸する際に船員が投げるロープを取ってビットに巻き付けるのが仕事だ。
池島航路などを運航する西海沿岸商船(佐世保市)に勤めるようになって十四年。港を出入りする人たちを見詰め続けている。
西彼西海町の出身。二十歳代半ばごろ、池島で松島炭鉱(福岡市)の協力会社を経営していた義兄に呼ばれて島に来た。ボタをトロッコに積み込む坑外作業員として働いた。
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来年3月に退職して池島を去る馬場さん=西彼外海町、池島港
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「昔はにぎやかだった」と往時の池島を懐かしむ。映画館があり、飲み屋も多かった。鉱員同士のけんかも日常茶飯事。真夜中に警察官から「応援に来てくれ」とたたき起こされ、けんかの仲裁に行ったこともあった。「流れもんが多かったけん、荒かった。今は静かなもん」と言う。
協力会社を辞めた後、ロープ取りを始めた。昨年二月、坑内火災が発生。その後、島を離れる人が相次いだ。「島から去っていく人たちを見るのは何とも言えなかったよ」と振り返る。閉山後はさらに多くの人が島を去る。
馬場さんも来年三月には退職して、故郷の西海町に戻るつもりだ。多くの人を見送ってきた馬場さんが今度は送られる立場になる。「子どもじゃなかけん、別にさびしゅうなか。島を離れたらもう来ることはなかろう」
最近、暇を見ては港から見える船や石炭の山の写真を撮るようになった。長年、生活した池島の風景をフィルムに焼き付けるためだ。池島に寄港する定期船は一日計三十六便。石炭貨物船も頻繁に出入りする。「閉山すれば船も少なくなってしまうやろう」
池島港は炭鉱のために造られた港だ。以前、そこには島の名の由来となった鏡ケ池があった。その一部を取り崩して一九五八年に港が完成した。池島が「池のある島」から「炭鉱の島」に生まれ変わった象徴的な場所。
「おいが来たときはもう港だった」と馬場さん。池島は池を失い、また炭鉱までも失う。馬場さんが写真に収めた石炭の山も、もう見られなくなる。
(11月3日掲載)
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