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事後処理へ期待と不安と
「松島に発電所、大島には造船所を誘致したからペンペン草は生えていない。西彼杵半島全体の問題として必ず取り組みたい」。十二日、福岡であった池島炭鉱閉山提案の記者会見。炭鉱を経営する松島炭鉱の親会社、三井松島産業の多河喜史社長は、こう言って閉山後の地域振興への協力を誓った。
松島炭鉱は一九一三年に創立。西彼大瀬戸町松島を皮切りに、三五年に大島町、五二年には外海町池島と、同半島の離島で採炭の拠点を移しながら炭鉱開発を進めた。農漁業以外に目立った産業のなかった地域を基幹産業として支えてきた。
松島と大島町の炭鉱は閉山したが、松島の炭鉱跡地には電源開発の火力発電所、大島町のボタ埋め立て地には大島造船所が進出。「松島の小さな会社から始まり八十九年間、三つの炭鉱の存続に執念を燃やしてきた」(多河社長)松島炭鉱は、閉山後の地域振興にも貢献してきた。
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池島から見る松島。電源開発火力発電所の煙突が印象的だ=西彼外海町
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「池島炭鉱の長期存続に町も一体となって取り組んできた。会社もできるだけのことはしてくれると思う」。同じ十二日、外海町役場で会見した山道幸雄町長は、閉山後の池島対策について会社側の協力を求めた。炭鉱に依存してきた水、電気や病院などの生活基盤。これら緊急を要する問題に加え、島のほとんどは炭鉱の社有地という現状がある。将来に向けた各種の施策を進めるうえで、会社側の協力は欠かせない。
一方で、十一日に炭鉱の現場責任者から組合提案の話をされたという山道町長は「『この種の情報は早く出してもらわないと…』と伝えた」と不満を口にした。県幹部も「高島(西彼高島町)閉山のときは三菱側から県にも密接に連絡があったが、今回はあまりないようだ」と松島炭鉱側の対応を疑問視している。
西彼杵の炭鉱開発からスタートした同社は、オーストラリアなどの海外炭鉱の開発、レンズ部門への進出など経営の多角化を図っている。エネルギー革命で国内炭鉱が先細りする中、進まざるを得ない道だったともいえる。
海外炭鉱開発に「池島で培った採炭技術が生かされ」、同社の本年度の輸入炭販売量目標(約三百五十万トン)は池島鉱の年産体制(百二十万トン)の三倍に匹敵するまでになった。池島への求心力は徐々に薄らいでいた。「今の時代に何が炭鉱かと思っている社員もいる」。三井松島産業社員の言葉は象徴的だ。
そんな会社側の姿勢は地元でも微妙に感じ取られていた。「最近はほとんど親会社の経営陣が池島に姿を見せなくなった」。外海町の幹部の一人がつぶやく。半世紀近く町を支えてきた炭鉱の閉山という厳しい現実に直面した外海町。その衝撃をいかに緩和するか。会社への期待と、不安が交錯する。
これまで炭鉱閉山後の処理に一定の評価を得てきた松島炭鉱は、池島で真の企業責任を問われることになった。
(10月17日掲載)
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