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九州最後のヤマの灯を守ってきた池島炭鉱。「日本で最後まで残る」といわれたこともある優良炭鉱だったが、会社側は十一月末閉山を労組に提案した。なぜ閉山の道を選択したのか、従業員と家族は、島は、町はどうなるのか。閉山提案に伴う周辺の表情を追った。
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火災、出水で歯車狂う
「本日、松島炭鉱労働組合と臨時経営協議会を開催し、池島炭鉱の閉山を提案しました」。池島炭鉱を経営する松島炭鉱(福岡市)の田代勉社長は、十二日の記者会見でこう切り出した。親会社の三井松島産業(同)の多河喜史社長とともに、取材に対し、閉山をかたくなに否定してきた田代社長がついに「閉山」の二文字を口にした。
「唐突のことで、まさかという感じだった」と労組の井手口二郎組合長代行。しかし、「閉山は頭になかったのか」との質問に「頭の隅にはあった」と、本音をのぞかせた。「出水、断層とトラブル続き。もう掘るところがないんだ」とある鉱員。採炭現場にいる従業員たちは、歩み寄る閉山の気配を肌で感じていた。
閉山提案には、昨年二月の坑内火災事故が大きく影響した。池島は一九八八年度以降、採算ラインである百二十万トンの出炭を順調に続けてきた。それが、火災による操業中断のため九九年度は九十七万トン、昨年度は八十二万トンの出炭にとどまった。
石炭は、エネルギー革命により石油に主役の座を奪われ、六〇年代以降、全国で閉山が相次いだ。九七年三月には国内最大で「すべての炭鉱の目標だった」(多河社長)という三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)までもが閉山に追い込まれた。その中で池島は最後の二鉱になるまで生き延びてきた。
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池島炭鉱の閉山が提案された、松島炭鉱の臨時経営協議会=12日午後、福岡市中央区
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「炭坑誌」の著書がある佐世保市史編さん室の前川雅夫室長は「池島は炭層が厚く傾斜も緩やかで条件に恵まれている。日本有数の炭層だろう」と池島存続の理由を挙げる。
その採炭場が坑内火災により失われた。会社側は別の優良な採炭場での操業に生き残りをかけた。しかし、今年六月、その採炭場で大量の出水があり歯車が狂った。いつもなら貯炭場にうず高く積み上げられている炭が極端に減った。
出炭量の減少により、松島炭鉱は三期連続の赤字決算となった。昨年三月期に約十六億円だった債務超過額は、二〇〇一年三月期には約五十四億円にも膨らんだ。「赤字を垂れ流す部門を維持することはできない」と会社側は言う。
「昭和二十八年には全国に八百五十もの炭鉱があった。池島は地元や国の支援を受けて最高に頑張った。最高に頑張った」。記者会見で「九州で最後の炭鉱としてやってきたことに誇りがあるか」と問われ、多河社長は自分に言い聞かせるように繰り返した。
石炭産業を守ってきた国の石炭政策は本年度で終わる。政策終了を目前にした段階での度重なる事故。池島は「頑張り」だけでは乗り越えられない苦境に立たされていた。
(10月13日掲載)
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