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池島閉山から1年 島の様子は激変 子ども 働く場がなくなった島の様子はこの一年で激変した。新学期が始まったころ計七十人いた児童、生徒数は合わせて四十三人になった。千八百人余りいてにぎわっていた炭鉱全盛時(一九七〇年代初め)のにぎわいは過去の記憶でしかなくなった。 生 活 住民の生活では電気、水を賄ってきた炭鉱のプラントがことし三月末で停止。電気は九電が海底ケーブルで全面供給。生活水は給水船による運搬を続けていたが、海底送水管の敷設が九月末に終了し、送水管による給水が始まった。四カ所あった共同浴場はプラントの停止で給湯ができなくなり町の運営に。一カ所を閉鎖、三カ所の浴場に重油ボイラー設置などの工事を施し入浴は有料になった。 商 売 島で一番大きな商業施設「池島ストア」は閉山時からすると売り上げが八割落ちたという。店長は「住んでいる人も単身者が多く食材の買い物は少ない。プロパンガスの販売もしているが、一棟に一人だけ住んでいるアパートもあり無駄な維持費がかかる」と嘆く。 船 便 島民の「命綱」の船便も不便になった。運航していた二社のうち一社は撤退、残る一社はほぼ半分に減便。季節風が吹き始め、欠航も多く、急なダイヤの変更もある。「炭鉱があったときは欠航は少なかったが、今は少しの波で欠航する。採算が取れないからやる気がないのだろう」と言う住民は多い。 税 収 閉山前、約四億七千四百万円あった町の税収は、鉱産税や固定資産税などの減少で約一億三千万円ダウンする見込みという。 じん肺 池島炭鉱などでじん肺症になった元炭鉱マン七十五人が慰謝料を会社側に求めた「三井松島じん肺訴訟」の口頭弁論が十九日、長崎地裁であった。支援者は「炭鉱の負の遺産だ」と言った。 「池島は優良鉱といわれたが、能率が上がるほど粉じんも立った」。こう振り返るのは定年まで二十一年余り採炭現場で働いた井上久男さん(71)=西彼野母崎町=。「私たちは一生懸命仕事をして病気になった。会社は責任を認め謝ってほしい」。来月には六十人の元作業員が追加提訴する。 経営側 池島炭鉱閉山から一年を迎えたことについて同炭鉱を経営した松島炭鉱(本社福岡市)の親会社、三井松島産業(同)は「雇用対策や地域対策などできる限り取り組んでいるが、取り巻く厳しい状況から進展しない現状。引き続き最大限の努力を続けたい」とのコメントを出した。 話 題 暗い話ばかりの中、希望の灯をともしたのが日本の炭鉱技術を海外に伝える国の事業で島に設置された炭鉱技術センター。張り切って指導に当たる元炭鉱マンたちの姿がある。 |