ふるさと賛歌
* 9 *

亀山社中跡
(長崎市伊良林)

今に残る竜馬の希望

市民有志の手で保存活用

地図

亀山社中に続く坂道。会員手作りの案内板や川柳が出迎える=長崎市伊良林2丁目

 幕末の志士、坂本竜馬が結成した日本初の商社・亀山社中。倒幕の原動力となった薩長同盟の成立にかかわるなど、歴史に大きな足跡を残す。だが、根城だった建物は明治以降、人手に渡り、一九八〇年代末には空き家に。それを見かねた長崎市民有志と地元伊良林地区住民らが八九年、社中跡の活用と活性化などを目指し「亀山社中ば活(い)かす会」を結成した。

 活かす会は九五年、社中跡前に記念碑「龍馬のぶーつ」を、九八年には近くの風頭公園に司馬遼太郎の代表作「竜馬がゆく」文学碑をそれぞれ建立。竜馬や社中隊士が歩いたとされる坂道を「龍馬通り」と名付けた。

 活かす会と市は、これらや風頭公園に立つ「坂本龍馬之像」、規約違反で切腹した隊士、近藤長次郎の墓(皓台寺)、竹ン芸で知られる若宮稲荷神社、眼鏡橋、興福寺など周辺の史跡も加え長崎歴史探訪路「龍馬がゆく道」を設定。案内板設置や板石舗装などの整備をしている。

 市が進める観光振興計画の中に、身近な歴史文化の見直しを目的とした「まち歩き」ルートづくりが盛り込まれている。社中跡も候補の一つだが、管理運営に当たる活かす会の幹事、土肥原弘久さん(46)は「地元で知られていないだけ。他県から来る人の方が多い」と苦笑交じりに話す。

 社中跡は改修され、往時を伝えるのは八畳間の梁(はり)と柱だけとされるが、全国の竜馬ファンの訪問が途絶えることはない。多くは「竜馬がゆく」の愛読者。茨城県から五月に訪れた女性(36)は「本を読んでいろいろと想像していたが、実際に来てみると感慨深い」。NHKの大河ドラマ「新選組!」放送も呼び水になっているという。


幕末の古写真などを展示する室内。来場者は坂本竜馬の活躍に思いをはせる=長崎市伊良林2丁目

 「亀山社中は後の外務大臣陸奥宗光や初代衆院議長中島信行など多くの人材を輩出し、日本史に大きな役割を果たした」と土肥原さんは強調する。

 高台にある社中跡からは、長崎の街並みや港が見渡せる。この風景を見た竜馬は何を思ったのだろうか。文学碑には作品の一節にある竜馬の言葉が刻まれている。

 「長崎は、わしの希望じゃ」(文=報道部・平古場豪、写真=写真部・坂本裕介)

■ 亀山社中跡 ■
 亀山社中は1865(慶応元)年結成。亀山は地名にちなむ。後に「海援隊」に名称変更、68(明治元)年に解散した。現在は建物を「亀山社中ば活かす会」が土・日曜、祝日(午前10時―正午、午後1時―3時)に一般公開している。入場無料。






職人さん
 人情も伝える体験学習
長崎伝統のハタ職人 小川暁博さん(54)


 祖父の代から続く市内唯一のハタ専業店、小川凧(はた)店の三代目となり、今年で三十年。竹で作った骨を鮮やかな手つきで次々と組み上げる。ハタの模様を染めるのは夏場の作業。晴れた日には近くの風頭公園でハタ揚げを楽しむことも。

 最近は修学旅行生のハタ作り体験学習に講師として呼ばれる機会が増えた。「講座が忙しく仕事が進まない日も多い」と苦笑いしながら、「ハタ作り以外にも、長崎の素晴らしい場所や人情を伝えている」と胸を張る。

 店内に併設した長崎ハタ資料館にハタを展示。観光客らにハタ作りの様子も見せる。かつて大人の遊びとして人気を集めたハタ揚げだが、近年ハタの需要は減少。「長崎の伝統文化として、次の世代に残していかなければならない」と語った。


所狭しと並べられた長崎伝統のハタ。訪れた観光客に作る様子を見せることも。=長崎市風頭町、小川凧店